スポンサーサイト
少しすっきりさせんとな…![]() Broken Mask_good-bye 「仮面をつけたが故に私は素顔でいられた」 カロッゾ・タナは後にこう語っています。 本来、顔とは喜び、悲しみ、怒りといった感情を最もはっきりと表す部分です。人間が自分を表現する上で「顔」は必要不可欠と言えます。 その顔を仮面で隠してしまうこと、これはカロッゾが自分を表現することに対する大きな障害になるのでは…と私は危惧していました。 しかし、実際はどうだったでしょうか。 仮面によって顔を失ったカロッゾは全身で己の感情を表せるようになったのです。自己表現の中心である顔を自ら封じることによって、逆に手や足、体全体が活き活きとカロッゾという存在を叫び始めたのだと私は感じています。 何故このようなことが起こるのでしょうか。それは仮面がカロッゾに与えた匿名性の力によるものでしょう。 「避けられぬことだが、人は常に世界と接している。世界と接する以上、人は世界における自分の立場、存在、自分を取り巻くものに責任を持たなくてはならない。この責任は望もうが望むまいが発生するのであり、世界を意識するようになった瞬間から我々は世界に『気を遣ってる』のだ」というのはカロッゾの言葉です。この言葉からも分かるように、私達は生きていく上で自分よりも「世界」を優先し、自分を抑える場面がたびたびあります。そして私達が世界と接する際に媒介としているものもまた私達の「顔」なのです。本質的には自分のありままの感情を表わすはずの「顔」は、世界に気を遣っていくうちに作られた表情しか表すことができなくなり、同時に自分の「顔」を使って世界と接し、「顔」を介して発生するあらゆることに責任を持たねばならぬ以上、人は「顔」を使って自分勝手な振る舞いができなくなるのです。 カロッゾが仮面をつけたのは作られた表情しか浮かべられぬ顔なら不要と考えたからであり、何よりも仮面の匿名性に守られることによって世界における自分の責任を放棄したかったからです。 顔を持たぬ「誰でもない者」になったことにより、彼は初めて責任を感じることなく、世界の上で自分勝手に振舞うことができるようになったのであり、彼の全身が活き活きと彼の「素顔」を表すことができるのはその証明です。 しかし、カロッゾは仮面を捨てて去っていきます。 それは、仮面から得た匿名性で自由になったとしても、匿名性に守られる以上自分という存在を他人に真に理解してもらうことはできないと考え、孤独を恐れたからなのでしょうか。 それとも、彼はまだ諦めていないのでしょうか。世界に気を遣いながらも、自分を偽らず生きていくことを。 カロッゾマネージャー 田膣内 少しすっきりさせんとな… Performed by カロッゾ・タナ Photograph pojitev(ぽじてぶーす) Directed by TA☆KA☆KI(ブロッコリー) Promoted by 田膣内 Costume 田中ホランド(日々谷総合設備) Special thanks to 海堂タカシ 桜花流奈 田中弘成(mnoyファンド大久保支部) 大久保工科大学 性倒錯者を支える会 新性器イサァンゲリオン製作委員会 カロッゾ・カレッジ-All Members&Staffs&ふぁんのみなさん ![]() |
プロフィール
Author:カロッゾ・タナ
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
|